本展は終了しました

みどころ

佐伯祐三の代表作が一堂に集結

30歳で夭折した佐伯祐三が、本格的に画業に取り組んだのはわずか4年余りです。本展では、その短い画業で佐伯祐三が残した作品から、選りすぐりの代表作を一堂に公開します。

大阪会場では、東京会場に出品されていなかった20点を含む、佐伯祐三作品142点を紹介します。

風景を切り口に生涯を通覧。
東京、大阪を描いた作品も充実

佐伯が主に描いたのは、自身が生きる街を題材とした風景画です。本展では特に日本で描かれた東京(下落合)、大阪(滞船)の作品を充実させて紹介。佐伯が発見した風景を、パリはもとより、東京、大阪というそれぞれの街にからめて鑑賞し、佐伯芸術が花開く過程を一望するまたとない機会を提供します。

佐伯祐三》

佐伯祐三(さえき・ゆうぞう)
1898(明治31)年-1928(昭和3)年

大阪府西成郡中津村(現・大阪市北区中津)の光徳寺に生まれる。東京美術学校西洋画科卒業後の1923年、パリに向けて日本を出港。翌年初夏、里見勝蔵の紹介で訪問したフォーヴィスムの巨匠ヴラマンクに「アカデミック!」と一喝され、作風を模索する。やがてユトリロに触発され、壁の物質感を厚塗りの絵具で表現したパリの下町風景の連作を展開し、1925年のサロン・ドートンヌで入選を果たす。1926年に一時帰国し、下落合の風景や大阪での滞船の連作を制作するも、日本の風景に飽き足らず、1927年8月にシベリア鉄道経由で再渡仏。パリの街並みを精力的に描き、広告の文字を題材とする繊細で跳ねるような線の表現で、独自の画境に達する。1928年2月に荻須高徳、山口長男らと近郊のヴィリエ=シュル=モラン村へ写生旅行。3月、パリへ戻ってから体調が悪化し、8月16日、パリ郊外の精神病院で30歳の若さで亡くなった。

展示構成

プロローグ

自画像

佐伯祐三は画学生時代を中心に、初期に多くの自画像を描いています。ペンや鉛筆によるスケッチ、東京美術学校卒業制作のほか、1924年の劇的な画風の転換を示す、《立てる自画像》を紹介します。

《立てる自画像》

佐伯祐三 《立てる自画像》 1924年 大阪中之島美術館

大阪と東京

<柱>と坂の日本―下落合風景と滞船(1926~27年)

2年間のパリ滞在を経て、佐伯は1926年3月に日本に戻ります。それから約1年半の一時帰国時代、集中的に取り組んだ画題が「下落合風景」と「滞船」でした。パリとは異なる風景に向き合う中で、画家は電柱や帆柱など、中空に伸びる線を見出していきます。佐伯が日本の風景の何を切り取り、どう描いたか。「下落合風景」と「滞船」のシリーズを充実した点数で紹介し、独自の視点と表現に迫ります。

《下落合風景》

佐伯祐三 《下落合風景》 1926年頃 和歌山県立近代美術館

《滞船》

佐伯祐三 《滞船》 1926年頃 ENEOS株式会社

パリ

壁のパリ(1925年)

1925年、佐伯はパリの下町の店先を題材に、重厚な石壁の質感を厚塗りの絵具で表現する独自の作風に到達しました。《コルドヌリ(靴屋)》などのこの時期の代表作をはじめ、圧倒的な存在感を放つ壁面の数々、その美しく複雑なマチエール(絵肌)をご覧いただきます。

《コルドヌリ(靴屋)》

佐伯祐三 《コルドヌリ(靴屋)》 1925年 石橋財団アーティゾン美術館


線のパリ(1927年)

佐伯祐三といえば想起される、画面を跳躍する線描の表現は、一時帰国時代の模索を経て、2回目の渡仏直後の1927年秋から初冬に展開されました。落葉樹の枝を描いた線、リズミカルに連なって画面を埋め尽くすポスターの文字、さらには縦に引き伸ばされた人物や自らのサインまで、線描でパリの街角を描き出す佐伯芸術の到達点を、《ガス灯と広告》や「カフェ・レストラン」の連作を含む代表作でたどります。

《ガス灯と広告》

佐伯祐三 《ガス灯と広告》 1927年 東京国立近代美術館

《レストラン(オテル・デュ・マルシェ)》

佐伯祐三 《レストラン(オテル・デュ・マルシェ)》 1927年 大阪中之島美術館

ヴィリエ=シュル=モラン

1928年2月、佐伯はパリから電車で1時間ほどの小さな村、ヴィリエ=シュル=モランに滞在し、新たな造形を模索しました。モランでの作品には力強く太い線と構築的な構図が復活します。寒さの厳しい中での制作は佐伯の体力を確実に奪っていき、ここが最後にまとまった数の作品を描いた場所となりました。

《煉瓦焼》

佐伯祐三 《煉瓦焼》 1928年 大阪中之島美術館

エピローグ

1928年3月、佐伯が病臥(びょうが)する前に描いた、絶筆に近い作品《郵便配達夫》《郵便配達夫(半身)》《ロシアの少女》《黄色いレストラン》《扉》をすべて展示します。3月末に喀血(かっけつ)した佐伯は、その後筆をとることができず、8月16日に亡くなりました。

《郵便配達夫》

佐伯祐三 《郵便配達夫》 1928年 大阪中之島美術館

  • Twitter
  • Facebook